こんにちは。編集長のモッピーだよー。
今回は図書館のお姉さんと
石橋供養塔巡りをしてきたよ。
赤山街道
赤山街道は、関東郡代・伊奈忠治が築いた
赤山陣屋(川口市赤山)に向かう道筋の総称。
大宮道と越谷道と千住道。
河川改修や新田開発のための
連絡・物資輸送、年貢米を運ぶための道でした。
大宮道は永田陣屋(さいたま市西区)から
赤山陣屋までさいたま市を斜めに通る道です。
赤山橋石橋供養
北与野駅から東京方面に向かって
遊歩道をトコトコ。
突き当たった道が赤山通り。
右折して歩いていき、消防署を過ぎると
鴻沼川にかかる赤山橋が見えてくるよー。
赤山橋のたもとに石橋供養塔があったよー。
享保11年(1726年)の建立で、
確認できるものでは市内最古の建立。
びっくりしたのは、その建立が
100にも及ぶ村々の寄付によっていること。
石碑の側面や背面には寄付に応じた村名が彫られています。
八王子村がかろうじて読めるかな。
見沼区や岩槻区を除く
さいたま市と上尾市、戸田市、川口市の広い範囲
にわたっているんだって。
この供養塔から一番遠い村までは
直線距離でなんと約10キロあるみたい。
江戸時代に赤山街道を歩いていた人の多さや
その行動範囲の広さを想像できて驚くねー。
次は同じく高谷橋の石橋供養塔に行ってきたよ。
お楽しみにー。
江戸時代の人々の健脚を目指している
編集長モッピーでしたー。
ほなねー。
またねー。