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【庶民の道:赤山街道③・江戸入りへの横の道】:編集長モッピーの歴史ゆる散歩

 

こんにちは。編集長のモッピーだよー。

 

 

今回は図書館のお姉さん

赤山街道のお散歩の続きをしたよー!

 

赤山街道ゆる散歩はこちら!

  

江戸時代から続く呼称:「赤山道」

 

赤山街道大宮道は与野駅前(東口)の交差点で

中山道を渡り、セブンイレブンの横を入っていきます。

 

このセブンイレブンがあるあたりに江戸時代、

立場茶屋があり、「六国見」の場所になっていました。

 

文化3年(1806年)の『中山道分間延絵図』には

「立場」、「赤山道」と記されています。

この付近の住民の間では、

中山道と交わる所から東側の道筋を

赤山道と呼んできました。

 

江戸時代から続くその呼称は、

そのまま商店街の名称にも使われました。

 

この産業道路に出るまでの道は、

昭和40年代頃から商店街が形成され、

 

平成29年(2017)まで

「赤山通り商店街」と呼ばれていました。

 

赤山通りは中山道側から家屋が建ち始め、

発展していったようです。

 

今は住宅街になっていますが、

お寿司屋さんや豆腐屋さん、

文具店さんが残っており

商店街だった頃の名残が感じられたよー。

 

江戸入りできる横の道

 

赤山通りをしばらく歩いていくと

 

左に上木崎大けやき公園があり、

赤山街道の説明板が立っていたよ。

 

荒川出水で戸田や川口の渡しが止まったときは

中山道・針ヶ谷村から赤山街道に入り、千住大橋を渡り、

江戸に向かったそうです。

 

大宮宿から江戸に向かう道は

中山道だけではなかったんですね。

 

赤山街道も貴重な道でした。

 

天保8年(1837年)の大間木村の文書には

 

荒川出水のときは

中山道を通る役人が橋のある千住宿に向かうので

人馬継立が多く必要だと書いてあります。

 

江戸時代の赤山街道が、町人から武家まで

多くの人や馬、物が行き交う

にぎやかな道だったことを想像しました。

 

現在のさいたま市を通っている

江戸時代からの道というと、

 

中山道日光街道に目が行きがちですが、

 

横の道の赤山街道も魅力的な道だなと思いました。

赤山街道にはまだまだ見どころがありそうです。

 

参考文献

『赤山街道総合調査報告書Ⅰ 大宮道をたどる』

『さいたま市の歴史と文化を知る本』

 

寒くなってきたからあたたかくしてねー。

お散歩がつらい時期になってションボリな

編集長モッピーでしたー。

 

しばらくはストーブさんと仲良くします。

 

ほなねー。

またねー。

 

 

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