こんにちは。編集長のモッピーです。
廓信寺にお散歩にいってきたよー。
仁王門はこちらー!
木造の金剛力士像がいるんだよー。
門に向かって左が阿形像。「あー」って口してるのー。
右が吽形像。「うんっ」っていう口をしてるよー。
図書館のお姉さんに廓信寺について
教えてもらったのー。
「武将の寺」と呼ばれるのはなんで?
お寺ができたのは、慶長14年 1609年
時代は江戸時代!徳川家康さんが江戸城に来た時!
家康さんの重臣、高力河内守清長さんが岩槻藩を任せられ
岩槻城主になったのですねー。2万石ー!
あわせて清長さんは、
足立郡浦和郷の1万石も任されたのよ。
その浦和郷の代官を清長さんに任されたのが
中村弥右衛門尉吉照さん。
お代官様ー!きゃー!!的な。
陣屋っていう代官さまのお役所も
針ヶ谷のあたりにあったんだって。
その辺のお散歩ははまた今度ー。
徳川家康さんも浦和によく鷹狩りに来てたんだよー。
清長さんの死後、吉照さんが作ったのが廓信寺。
「廓」と「信」は二人の名前からとったんだって。
武士の主従関係の強さがよくわかるね。
だから武将の寺と呼ばれているんだよー。
他にも色々教えてもらったけど
そのお話はおいおいねー。
歴女のモッピーでしたー!