こんにちは。
編集長のモッピーだよー!
前回のゆる散歩はこちら!
元気にトコトコ中山道を北上中!
高島屋まできたよー!
屋上のビアガーデンで稲荷神社を発見して
ずーっと気になっていたから
図書館のお姉さんに教えてもらったよ。
ビアガーデン最新情報はこちら!
高島屋の場所には旧家のお屋敷があったんだって。
その旧家とは北沢家。
北沢家は戦国時代の
寿能城主・潮田資忠の筆頭家老
寿能城のお話はこちら!
江戸時代には大宮宿脇本陣、紀州鷹場本陣、鳥見役を
務めていたんだって。
明治時代にはさいたま市が誇る漫画家
北沢楽天が生まれた家でもあります。
北沢楽天さんに関してはまた教えてもらいますね。
日本で初めての漫画家と言われているんだよー!
紀州鷹場での鷹狩り
江戸時代、旧岩槻市を除くさいたま市の大部分
そして上尾市、川口市、越谷市の一部は
紀州鷹場でした。
鷹場とは鷹を使って狩猟をする場所のことで
御三家には寛永10年(1633年)に
将軍徳川家光から与えられました。
江戸城から20㎞の地域は将軍家の鷹場
御三家の鷹場はその周りだったんだね。
江戸周辺地域の治安維持と
江戸城防衛の意味もあったみたい。
紀州藩主徳川頼宣は鷹場拝領前にも浦和・大宮で
鷹狩りをしており、見沼では歌を詠んでいるよ。
誰も見よ 箕沼の池に影うつる
富士の高根の雪のあけほの
箕沼とは見沼のことだよー。
時代は下り、享保6年(1721年)、
紀州藩主徳川宗直は
11月16日に紀州鷹場に来てから
12月5日に江戸に帰るまでの間、
ほぼ紀州鷹場全域に足を入れています。
今の浦和区では木崎山で
4人で持つほどの猪一頭を獲ったそうです。
木崎で猪!!!!
鳥見役とは????
北沢家は紀州藩から鳥見役に任じられました。
紀州鷹場で鳥見役に任じられたのは
その地域の第一の家で、ほかに浦和宿の星野家
大門宿の会田家など6~8人いました。
鳥見役????観察でもするのかしら???
鳥見役は管轄区域の鷹場の村々を
鷹場法度に基づく取り締まりなどにより
支配したみたいだよ。
村々には鷹場内のさまざまな規制を守る旨の
証文を提出させたりね。
鷹場法度とは、鳥や川魚の折衝の禁止、飼い犬の禁止
新規の建物造営の禁止などの規制です。
環境を保とうという法律だね。
飼い犬は禁止にしないでよー(笑)
北沢稲荷
さて、お話は戻って、高島屋屋上の稲荷神社。
北沢稲荷っていうんだよ。
寿能城内にあった寿能稲荷、
小田原城落城の際、
討死した寿能城士37人の霊を勧請した八幡社、
北沢家を祀る稲荷社を合わせて三社稲荷として
祀られているんだって。
参考文献
『紀州鷹場 埼玉県南にあった紀伊徳川家の鷹場』
『第44回特別展 中山道大宮宿』
『大宮の郷土史 第33号』
『さいたま市の歴史と文化を知る本』
どこまで中山道を北上するのか????
パパママに心配されている
編集長モッピーでしたー!
ほなねー。
またねー。