こんにちは。編集長のモッピーだよー!
今回は前回の戦国時代ゆるゆる散歩の続きだよー!
小田原北条氏 vs 岩付城太田資正
永禄7年(1564年)資正が
宇都宮に出かけた留守中に
長男の氏資は北条氏と組んで、
資正を岩付城から追放し
なんとなんと
北条氏配下の一城主になってしまいました。
北条氏にとっては
これにより関東の支配が完成したんだね。
豊臣秀吉の天下統一と岩付城・寿能城
天正18年(1590年)秀吉の
小田原攻めが始まります。
関東の諸城は陥落。
岩付城は5月に落城、
寿能城も同じころに落城しました。
落城の際、村民の避難所となっていた寿能城から
潮田家の家臣衆やその妻子などかなり多くの人々が
見沼に身を投げたそうです。
ちなみに寿能城城主の資忠とその嫡子の資勝は
小田原城の籠城戦に参加していて、
寿能城落城よりも前に戦死しています。
見沼の伝説!「蛍の御殿」
ある夏の晩のこと、
見沼のほとりで笛の上手な少女が
笛を吹いていると、
同じような笛の音が
古井戸から聞こえてきた。
こわごわ古井戸をのぞきこむと
たくさんの蛍が
笛の音につれて飛びかっていた。
その中から飛び出してきた
一匹の大きな美しい蛍に
御殿に導かれ、
少女は美しい姫に出会う。
姫は、
「寿能城落時に一族を失い、
見沼に身を投げたところ、
見沼の竜神が哀れんで蛍にかえてくれた。
蛍になっても大好きな笛を吹いているが、
一族のために供養して欲しい。」
と少女に頼んだ。
村に帰った少女は村の人たちにその話をして、
大和田に蛍の供養塔を建てたという。
見沼の竜神伝説にも関係があるかもねー。
こちらもホタルのお話だったね。
是非!
編集長のモッピーでしたー!
ほなねー。
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— 北浦和JOURNEY (@JpKitaurawa) May 22, 2021
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