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編集長モッピーのゆる散歩:大宮浅間神社・富士信仰のブームの秘密

 

こんにちは。編集長のモッピーだよー!

 

 

今回は前回の続きー。

富士山信仰について詳しく聞いてきたよー。

図書館のお姉さんよろしくねー。

 

 

富士信仰のブームの秘密

 

この大ブームのきっかけとなったのは

享保期に現れた食行身禄(じきぎょうみろく)さん。

 

 

伊勢国の生まれで、

江戸の呉服商に奉公していましたが

 

富士信仰に入ると、

油売りをしながら布教活動をしたんだって。

 

身禄さんは、

庶民たちがそれぞれ日常生活を送りながら

できる範囲で富士山を崇めることを推奨しました。

 

富士山での修行よりも、まずは優先すべきなのは

仕事だよと、労働の大切さを教えたんだって。

 

江戸の人々は自らの職業に

強いプライドをもっていたので

身禄さんの教えは江戸庶民の心に響いたのかもね。

 

享保の時代(8代将軍徳川吉宗・米将軍)

 

享保17年(1732年)の大飢饉による米不足で

米価が高騰し、

 

翌年には江戸で初めて打ちこわしが起きたんだって。

 

この年、身禄さんは庶民救済を願い、富士山の烏帽子岩で

断食をして亡くなりました。

 

現状に苦しむ庶民にとって身禄さんはヒーローだったんだね。

 

前回の記事でゆる散歩した浅間神社

このように江戸時代に富士信仰が盛んになったことで

祀られたんだねー。

 

 

かつては山頂から氷川参道のケヤキ並木を通して

富士山を望むことができたんだよー。

 

ちなみに

 

浅間山には山岡鉄舟が揮毫したという「浅間祀」の碑が

富士山に向かって建てられています。

 

多摩川浅間神社にある富士山の形をした

「食行霊神碑」は勝海舟の揮毫。

 

 

山岡鉄舟、勝海舟、高橋泥舟と幕末の三舟だね。

偶然かしら。

 

参考文献はこちら。

『大宮をあるくⅠ ~東部編~』

『富士山文化 その信仰遺跡を歩く』

『ブラタモリ10 富士樹海 富士山麓 大阪 大阪城 知床』

 

ブラタモリならぬ、ブラモッピー!

 

編集長のモッピーでしたー!

ほなねー。

またねー。

 

 


 

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