こんにちは。編集長のモッピーだよー!
今回も氷川神社をゆる散歩―!
今回も図書館のお姉さんに色々教えてもらったよー!
富興行で社殿修復
四代目将軍家綱も社殿を造営したんだよ。
寛文6年(1666年)家綱は
行田の忍藩主阿部豊後守忠秋に造営を命じました。
そうして建てられたの社殿四棟のうち
三棟は今も残っているのー。
門客神人神社
御嶽神社
天津神社
家綱が造営したこれらの社殿を維持するために
氷川神社は江戸で富興行を開催して
その修繕費用を捻出しようとしたんだよ。
富興行=宝くじ!!!
享保期になってから幕府の財政節約のために
官費での修理ができなかったんだね。
記録によると文政8年(1825年)の時は
富札を売り出すことによって1000両を集めたんだって。
配当は1等が150両、2等が100両(2本)
3等が50両(2本)などだったみたい。
さらに両袖金という前後賞があり、
1等の場合は7両だったので
連番で購入すると164両!
今のお金だと1,640万円!
実際には奉納金として1割が引かれたんだって。
この当たりくじの奉納金を
修理費用にするつもりだったみたい。
しかし富札を全て売りつくすのは難しく
興行場所を転々とかえていたみたいだよ。
田沼意次の時代は富興行を開催できましたが
松平定信の時代から厳しくなり、
水野忠邦のころには完全に禁止になったんだって。
江戸時代に宝くじがあったのがビックリだねー!
参考文献
『氷川神社の歴史を語る ー自然と文化ー』
『大宮氷川神社と氷川女體神社 その歴史と文化』
『第41回特別展氷川神社 ー大いなる宮居の歴史ー』
年末ジャンボでジャーキーをたくさん当てたい
編集長モッピーでしたー!
ほなねー。
またねー。
はじめまして。
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— 北浦和JOURNEY (@JpKitaurawa) May 22, 2021