こんにちは。編集長のモッピーだよー。
今回は妖怪ゆる散歩の続きだよー!
前回はこちら。
黒塚伝説の地
悪鬼を退散させた宥慶が東光坊という庵を建てた場所は
現在の大宮区堀の内の産業通り沿いにある大黒院なんだよ。
看板に書いてある大治3年(1128年)は
宥慶が東光坊を建立した年です。
ゆる散歩したけど大黒院の境内には入れなかったのー。
黒塚はこの大黒院から約100m東方の
台地の上にあって、その塚の南100歩ほどの場所が
悪鬼退散の場所なんだって。
『江戸名所図会』(天保7年・1836年)の
黒塚の絵には松の木が繁り、
鳥居と茅葺きの社(八幡社)が描かれています。
よくみると塚の手前で煙草をふかしている人がいるねー。
「黒塚」は能や歌舞伎の演目にもなっていますが、
歌舞伎で「黒塚」を上演するときは俳優が大黒院に
参詣に来ていた時代もあったんだよ。
東光坊はその後、
東光寺になり、寛文年間(1661~73)
に現在の大宮区宮町に移転しました。
東光寺の本尊は約5.5cmの金剛薬師如来像で
木仏の胎内に収められ、
宥慶が足立ヶ原黒塚の悪鬼を呪伏した際の
護身仏と言われているんだよ。
大宮の鬼婆の話はね、ほかにもあるんだよ。
なんと鬼退治で有名な平安時代の武士、渡辺綱も
大宮で鬼婆の退治をしたんだって。
足立郡箕田郷(現在の鴻巣市)出身の渡辺綱が
家督を長子に譲って再び箕田郷で暮らしていた時
大宮の森に棲み、
人を捕えて食べる恐ろしい鬼婆の話を聞いて
退治したんだよ。
アダチガハラの鬼婆の話は
奥州や武蔵に限ったことではなく
大和や豊前などにもあるみたい。
参考文献
・『さいたま市博物館研究紀要 第五集』
「武州大宮宿の黒塚伝説について」下村克彦
・第28回特別展図録『江戸名所図会』厳選50景
さいたま博物館
・『埼玉の妖怪』大明敦
妖怪のお話に少しチビっちゃったのは内緒だよー。
編集長モッピーでしたー!
ほなねー。
またねー。
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