こんにちは。編集長のモッピーだよー。
今回のゆる散歩はこちら!
氷川参道の東側にある浅間神社!
この記事の山丸公園とは氷川参道をはさんで
ちょうど反対側だよー。
浅間神社のご祭神はコノハナサクヤヒメノミコトさま
富士山の女神なんだよー。
高さ4メートルくらいの塚の上に祀られているよ。
浅間山(せんげんやま)と呼び慣わされています。
こちらが傾斜のゆるい女坂(登山道)
そしてこちらが傾斜のきつい男坂
鳥居があるけど、下山道なんだってー。
浅間神社は江戸時代中期ごろには
祀られていたのではないかと言われています。
その江戸時代中期、江戸を中心とした関東一帯で
爆発的な富士山ブームが巻き起こったんだって。
浅間神社が祀られたのもこのブームに
関係しているみたいだよー。
ということで、今回も図書館のお姉さんのもとへ
とことこと。
富士信仰の変化を調べてもらったよ!
古代、富士山は噴火を何度も繰り返していました。
人々は富士山を鎮めるため、浅間大神をお祀りし、
信仰したんだって。
「あさま」という古語には「火山」とか「おそろしい」
という意味があります。
富士山の噴火が収まるに従い、
登ることによる信仰に変化していったんだって。
江戸時代以前は修験者主体の信仰形態でしたが、
江戸中期以降は富士山を信仰する庶民が
祈願のために富士山頂を目指しました。
そのグループのことを富士講といいます。
庶民による富士登山が大流行し、
江戸は広くて八百八町、江戸は多くて八百八講、
お江戸にゃ旗本八万旗、お江戸にゃ講中八万人
と唄われたほどでした。
富士講は関東周辺にも拡大していったんだよ。
葛飾北斎の冨嶽三十六景にも
唯一富士山の山容が描かれてない
「諸人登山」という作品があるよー!
そして富士信仰は日常化し、
庶民の身近なところに
富士山のミニチュアである富士塚が築かれたり
各地に浅間神社が祀られました。
また、昭和前期までは関東のいたるところから
富士山を仰ぎ見ることができ、
「富士見坂」などの地名で残っています。
さいたま市にも複数あるよー。
つづくねー。
編集長モッピーでしたー!
ほなねー。
またねー。
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