こんにちは。編集長モッピーだよー!
今回も図書館のお姉さんと中山道をゆる散歩!
前回はこちら!
中山道ゆる散歩の続きだよ。
安藤橋の石材がある吉敷町の交差点から
さらに北へトコトコと。
大宮に残る加賀屋敷の門
100mくらいトコトコ歩くと左側に瓦屋根の門が!
なにやら歴史を感じる門だねー。
図書館のお姉さんに聞いてみたよー。
この門は加賀藩上屋敷の裏門だったんだってー。
東京大学の赤門!
加賀屋敷の門と言えば、東京大学の赤門が有名だね。
現在の東京大学の敷地には加賀藩の上屋敷がありました。
赤門は正しくは御守殿門といいます。
加賀藩13代藩主前田斉泰のもとへ輿入れした
溶姫(11代将軍徳川家斉の息女)の
御守殿という屋敷の表門のことです。
溶姫が輿入れする2年前の文政8年(1825年)に
建てられたんだよ。
加賀前田家に限らず、
将軍の娘が大名家に輿入れした際には
その姫君の御殿の表門は赤く塗られたんだって。
この赤門の屋根の最上段は
徳川家の家紋である「葵紋」の瓦
下段は前田家の家紋である「梅鉢紋」の瓦
が使われているんだって。
創建時は葵紋の瓦ばかりだったそうで
溶姫は前田家に来嫁することになっても
徳川家の姫として丁重に扱われ
門の瓦までに気が遣われているなんて
印象的だねー。
加賀藩前田家は、参勤交代の際、
中山道を通行し、
大宮宿で宿泊または昼食をとったんだよ。
江戸時代、大宮と加賀藩前田家は中山道で
つながっていましたが、
そのつながりが今も門という形で
残っているのはなんかうれしいねー!
参考文献
『ウォーク・イン・中山道大宮宿』
『江戸のミクロコスモス 加賀藩江戸屋敷』追川𠮷生
北浦和の姫こと、編集長モッピーでしたー!
ほなねー。
またねー。