こんにちは。編集長のモッピーだよー。
今回は見沼付近の戦国時代のお話!
図書館のお姉さんに教えてもらったよー!
関東では天文年間(1532年~1555年)ごろ
から戦国の様相になったんだよ。
そんな中、武蔵国に進出してきたのが
小田原北条氏!
武蔵国最大の拠点であった河越城(川越)を
天文6年(1537年)に攻略すると、
天文15年(1546年)の河越夜戦にも勝利し
実質的に武蔵国を支配するようになりました。
そんな中、
四代岩付城主、太田資正(すけまさ)だけが
北条氏に反抗し続けていたんだって。
岩槻よ、岩槻!
太田資正が永禄3年(1560年)に
河越城への備えとして
寿能城(じゅのうじょう)を築き、
四男の資忠(潮田資忠)に
大宮・浦和・木崎・領家を与え、
城主としました。
寿能城は岩付城の支城なので
規模はあまり大きくありません。
現在の寿能公園一帯が本丸跡で、
大宮北中学校の正門付近に大手門がありました。
寿能城は見沼に突き出た台地に築かれ、
西以外の三方が水に囲まれていました。
見沼代用水がつくられるまで
現在の大宮公園のボート池や
大宮公園駅付近にまで
沼が入り込んでいたんだって。
旧大宮区役所の建物の隣には、
潮田資忠が寿能城鎮護の神として建てた
倉屋敷稲荷神社があります。
奥には菅原道真公の天神社と金毘羅社があります。
次回は、北条氏の関東支配、豊臣秀吉の登場!
そして見沼伝説!『蛍の御殿』を教えてもらうよー!
編集長モッピーでしたー!
ほなねー。
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— 北浦和JOURNEY (@JpKitaurawa) May 22, 2021
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