こんにちは。編集長のモッピーです。
前回のゆる散歩はこちら!
今日も元気にとことこと。
松本幸四郎さん版「鬼平犯科帳」の映画が
公開されましたね。
鬼平こと、火付盗賊改方の長谷川平蔵は
大盗を次々と捕縛しましたが、なんと!!!!
大宮でも盗賊を捕えていたんだよ。
ということで、
図書館のお姉さんとゆる散歩してきたよ。
前回の塩地蔵尊からさらに中山道を北に。
第四北越銀行の横に涙橋の碑が建っていたよ。
この付近にはかつて「中橋」という石橋が
中山道を横切る悪水路にかかっていました。
この橋は南にある高台橋近くの刑場へ送られる罪人と
その親類縁者が涙の別れをした場所だったため
いつの間にか「涙橋」と呼ばれるようになったんだって。
高台橋の記事はこちら!
高台橋の伝説に登場する盗賊神道徳次郎は
大盗賊団を率いて陸奥・関東五国で
手当たり次第に夜盗を働いていました。
このころは天命の大飢饉により
米価が高騰し、江戸と関東で強盗が横行する
恐ろしい世の中だったんだって。
そんな中、神道徳次郎の一味は
「御用」と書いた提灯を掲げ、
街道を幕府御用の行列を装って往来し、
問屋場では人馬を出させて
盗んだ物を運ばせていたそうです。
なんとも大胆不敵!
そしてついに、
この大盗賊団は寛政元年(1789年)4月
長谷川組の与力・同心によって
大宮宿で一網打尽にされました。
四恩寺、閻魔堂の隠れ家に潜伏していたんだって。
同年6月7日に大宮宿引廻しの上、高台橋刑場で
処刑されました。
長谷川平蔵が最初に捕えた大盗賊が
神道徳次郎であり、
この捕縛により長谷川平蔵の名が
世の中に知られるようになったんだよ。
鬼平犯科帳の生みの親、大宮宿!
というのは言い過ぎかしら。
参考文献
『大宮雑記帳7 巷談』
『大宮雑記帳9 中山道大宮宿』
『大宮市史 第五巻』
『江戸「捕物帳」の世界』
『「火附盗賊改」の正体』
みんなのハートを盗むことで有名な
大盗賊、編集長モッピーでした。
ほなねー。
またねー。