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【須原屋さん】書を以て世を耕す①:編集長モッピーの歴史ゆる散歩

 

こんにちは。編集長のモッピーです。

 

 

浦和で昔からなじみのある本屋さんといえば

須原屋さん!

 

 

 

「べらぼう」に出てくる須原屋市兵衛さんと

どんな関係があるのか?気になっていたので

 

いつも通り、図書館のお姉さんに聞いてきたよー!

 

江戸書物問屋・須原屋さんの軌跡

 

知らねえってことはな、怖えことなんだよ。

物事知らねえとな、

知ってるやつにいいようにされちまうんだ。

本屋っていうのはな、

正しい世の中のためにいいことを

知らせてやるっていう務めがあるんだよ。

平賀源内風に言えばな、”書を以って世を耕す”

これなんだよ

 

この言葉は、大河ドラマ「べらぼう」の中で、

引退する書物間屋・須原屋市兵衛さんが

本屋の未来を話そうと、蔦重に語った言葉です。

 

書を以って世を耕す

 

いい言葉ですね。

 

ドラマの中で市兵衛さんは、蔦重が悩んでいるときに

進むべき道を示してくれるメンター的存在でした。

 

蔦重が吉原から日本橋進出を決意するときにも

市兵衛さんの説得がありました。

 

桜木へ武士を須原屋彫って売り

 

須原屋さんは、北畠宗元さんが

紀伊国有田郡栖原村から江戸に出て、

日本橋南に書肆(書店)を開いたのか始まりです。

 

万治年間(1658~1661年)のことでした。

彼が初代須原屋茂兵衛さんです。

 

以来、明治37年(1904年)まで9代続きました。

 

元禄から茂兵衛さんの中心的商品は

『武鑑』と、『江戸絵図』であり、

茂兵衛さんは幕府御用書肆でした。

 

『武鑑』は、大名や幕府役人の

名前・石高・俸給・家紋などが

記載された武士名鑑のことで、

江戸最大のベストセラーでした。

 

「須原屋といえば武鑑」という呼び声を広めたのは

3代目茂兵衛さん。

 

「桜木へ武士を須原屋彫って売り」は

『武鑑』刊行店としての

茂兵衛さんを詠んだ句のうちの一つです。

 

毎年出版される『武鑑』を基盤に、

幕末頃からは薬種屋も兼ね、

経営の多角化を図っていました。

 
日本橋は書物問屋と薬種問屋の多い町でした。

 

本と一緒に薬も各地に行き渡り、

須原屋さんの名は全国に広がっていきました。

 
岩槻藩の藩校・遷喬館を開設した児玉南柯は江戸在勤中、

暇をみつけては茂兵衛さんの店に出向き、

古文書に読み耽っていたそうです。

 

須原屋一門の形成

 

須原屋さんのすごいところは、

『武鑑』で安定した莫大な利益を得た

ことだけではありません。

 

のれん分けにより多くの分家をつくり、

業界の最大勢力になったことです。

 

須原屋さんが属した書物問屋は、

文化14年(1817年)の時点で63軒あり、

 

そのうち須原屋を屋号とする書物屋は

12軒ありました。

 

これは、江戸で刊行される書籍の

約3割に相当したということです。

 

続くよー!

 

モッピーのパパは須原屋さんに育てられたって

謎に熱く語りだしたよー。

 

むー、少しお話が長いねー。

誰か、止めてくださーい。

 

色んな意味で、

ほなねー。

またねー。

 

編集長モッピーでしたー!

 

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