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浦和幕府爆誕!浦和時代!!:編集長モッピーの歴史ゆる散歩

 

こんにちは。編集長のモッピーです。

 

 

常盤公園(浦和御殿跡)玉蔵院へのお散歩で

浦和は徳川家康さんゆかりの地なんだって

教えてもらったのー

 

浦和にはびっくり仰天する逸話があるって

図書館のお姉さんから教えてもらったよ。

 

浦和幕府爆誕!浦和時代!!

 

天正18年(1590年)に家康は関東に入りました。

どこに居城を築くかを決める際、

その最終候補になんと!浦和もあったんだってー。

 

家康さん自身が浦和に見分しに来て

浦和の地は守りには適しているが、

船の出入りには不便だとして

最終的には江戸に城を築くことにしたんだって。

 

この逸話は江戸幕府公認ではありませんが、

江戸時代後期に幕府が編纂した資料に

載っているそうです。

 
縄文時代には奥東京湾が現在の上野と松戸の間、

さらにもっと奥まで入り込んでいて、

 

浦和は海に面していたっていうし、

もしその地形のままだったら、

家康は浦和に幕府を開いていたのかも?!

 

浦和宿本陣

 

そんな浦和は日本橋から3番目の宿駅でした。

今回はその中心である本陣跡に行ってきたよー。

 

ロイヤルパインズホテルの前に

「中山道浦和宿」の案内板があったよー。

 

ちょうどロイヤルパインズホテルの場所は

脇本陣があったんだね。

 

浦和宿本陣は今の仲町公園にあったんだよー。

 

公園内には2つの案内板とともに

明治天皇行幸の際の記念碑があるよ。

 
本陣の敷地は1200坪で、県内では上尾宿に次ぐ広さ。

幕府の老中や大名は、本陣の図面の中の奥の方にある

「御上段八畳」と書いてある部屋に宿泊したんだって。

 

 

本陣を利用した大名たち

 

本陣に宿泊した代表的な大名は加賀藩前田家です。

 

前田家では参勤交代で浦和に泊まり

翌早朝4時に出立し、午前中に江戸城に入ったそうです。

 

これは少しでも早く江戸城に入り、

幕府に忠誠心を示すため。

 

外様大名もなかなか大変なのね。

 

天保14年(1843年)には徳川斉昭さんが

日光社参のときに本陣で昼食をとったんだって。

 

なみならぬ旅路と人はいひながら

浦和の里に打そよりぬる

 

徳川斉昭さんが御座の間の小襖に書いた歌

 

本陣では帰路までにこれを表装して架けておいたところ

斉昭さんは大変喜んだんだって。

 

栃木宿でも袋戸に漢詩を揮毫していたり、

紀行文『日光紀行』も記しています。

 

烈公のイメージがあるのに文芸好きとかっていう

ギャップも面白いね。

 

歴史の表舞台に立った人でも

自分の住む地域が舞台の話を知ると興味がわくよね。

 

教科書で学ぶ歴史も大事だけど、

お散歩を通じて知る地域の歴史もまた一段と楽しいな。

 

参考文献等

『ウォーク・イン・中山道浦和宿 改訂版』

『家康はなぜ江戸を選んだのか』

れきしクンの城めぐりチャンネル

→徳川家康・超マニア向け 江戸時代からの都市伝説!

LOVE埼玉チャンネル

→埼玉ミステリー調査団 浦和に残る徳川家康伝説とは!?

→埼玉の逆襲

奈良女子大学ホームページ「日光紀行」

文化遺産オンライン「徳川斉昭筆袋戸書(二面対)箱書付

 

モッピーのおなりー♪

「くるしゅうない」って言ってみたい

編集長モッピーでしたー!

 

ほなねー。

またねー。

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