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編集長モッピーの歴史ゆる散歩:大宮宿の大恩人、勘定奉行・安藤弾正

 

こんにちは。編集長モッピーだよー。

 

 

今回も図書館のお姉さんと中山道をゆる散歩!

 

氷川参道の入り口から中山道を

北へ向かってトコトコと。

 

大宮区吉敷町の交差点を渡ったところに

小さな石材を見つけたよー!

 

 

赤いポールがないと見逃しそうだねー。

 

これは安藤橋という橋の石材で

橋は道路改修の時に取り払われて現在はありません。

 

この安藤橋の感動的なお話を

図書館のお姉さんに教えてもらったよ。

 

大宮宿の大恩人、勘定奉行・安藤弾正

 

この場所は東西に排水路が流れていて

石橋が架かっていたんだって。

 

文化3年(1806年)の中山道の絵図にも

描かれているよー!

 

 

そしてこの地点が大宮宿の南の入口。

 

安永4年(1775年)、大宮宿で大火が発生。

 

類焼家屋85軒、炊き出しは7日に及ぶという

大宮宿始まって以来の大火。

 

このとき、

独断で幕府の御用米と御用金を被災者に施して

 

多くの大宮宿の町人を救った

勘定奉行がいたんだよ!

 

その人が安藤弾正(安藤惟要)さん!

 

道中奉行も兼任していました。

 

安藤弾正さん、その後、独断の罪の責任を負い

切腹して果てたんだって。。。。。

 

救われた大宮宿の人々は安藤弾正さんの死を悼み

その徳を永久に伝えるために石橋を「安藤橋」

名付けたそうです。

 

安藤橋の北側にあった欄干と安藤弾正さんの墓碑は

さいたま市立博物館の常設展示室に展示されているよ。

 

このような政治家が必要なのはいつの時代もだね。

 

ここでちょっとした豆知識

図書館のお姉さんに教えてもらったよ!

 

中山道などの昔の街道を歩くと

橋名や旅籠名の看板の表記が

 

江戸から来る場合と京都から来る場合で

違うんだって。

 

江戸から来るとひらがなで、

京都から来ると漢字で書かれているんだよ。

 

さいたま市立博物館に展示されている

安藤橋の欄干の表記は漢字なので

 

京都側にあったものと推定できるんだね。

むふふ。名探偵モッピーの名推理!

 

過去から現在につながる歴史的なものが

たとえそれが、橋の一部の石材だったとしても

街の中に溶け込んでいるのをみると

なんだかうれしいね。

 

お散歩を豊かにするそんなお話、

また今度ねー!

 

引用文献

『大宮をあるく Ⅰ ~東部編~』

『大宮雑記帳 7 巷談』 秋山喜久夫

『第44回特別展 中山道大宮宿』 さいたま市立博物館

 

桶川宿の看板の表記はどうなのかしら。

北浦和JOURNEYの姉妹サイトもよろしくねー。

 

編集長モッピーでしたー!

ほなねー。

またねー。

 

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